昭和47年 広島市中区西平塚町にて開業いたしました。

開業した理由

昭和40年代頃の歯科は診療開始時刻前より患者さまが待合で既に数十人が並び、診療終了時刻を過ぎても患者さまがあふれ、後片付け、翌日の準備をすれば夜の11時をまわることもしばしばで
“虫歯の洪水”などと表現されていた時代でした。
当時院長の小松昭紀がもっと正確に治療したい、そのために必要な時間も欲しいと思い、
当時ではあまり行われていなかった完全予約制そして計画診療を実践できる診療所を昭和47年(全国で2番目)に開設しました。

開業した診療所の特徴

それはDr.ビーチが考案したパフォーマンスロジックという理念から生まれた診療所です。患者さまは勿論、そこに訪れる全てのヒト、そのための空間、時間、設備などの環境などをヒトが 普段あまり意識をしない固有感覚から導き出された最適な診療所です。
分かりやすい部分では診療所の玄関を入る以外、ヒトの動きを遮るような扉などなバリアフリーとなっており、はじめて訪れた方にも優しい設計です。
(挙げればキリがありませんが玄関の扉が引きではなく押し戸、それは右開きではなく左開き、玄関を入って視線の先にある受付けの場所、待合の椅子の背もたれの角度などヒトの動き全てに関して計算尽くされています)
また、同じビルの2階と3階で同じ設計の診療所、共通の理念をもつグループ診療でした。それは患者さまにとっては世界中どこでも同じ理念で作られた設計の診療所では、ほとんど違和感なく診療を受ける事が出来るというものです。
最も特徴的な部分はルールに則り、患者さまのお口の中の術前、術後の状態(いつ、どの部分を、どのような手順で、どの材料を使ったなど)が一枚の用紙で一元化として記録をしているため一瞬にして 患者さまのお口の中の歴史が分かります。いわゆる患者さまのお口に関するパスポートのようなものでそれを一生残します。そのデータがグループ内の診療所で共有できるという事です。 仮に転居しても同じような設計の診療所で診療内容の詳細データを歯科医師が理解しているという事は患者さまにとって大きなメリットになります。もちろん術者の技術にも水準を設けております。
ただ近年日本では物価、土地の高騰、歯科医療保険制度やさまざまな社会的な面からグループ診療の新規開設は困難になっているようですが、理念を共にする診療所は全国に多くあります。
現在でも海外では新規グループ診療所開設が行われているところもあります。
当所のア歯科広島東グループはその名残です。

ア歯科の優れている点

これらが優れている点はその中で働くヒトが理念を共にするため、診療の基準に大きな相違はありません。また、当然、消毒・滅菌等の概念、安全対策や診療材料などは進歩し続けていますが、診療所の設計、設備、コ ンセプト等はヒトの動きを考え尽くされていますので全く変える必要がなく開設してから現在まで続いております。

※ア歯科とは
由来は日本でのグループ診療実践の時代と聞いております。
また『電話帳で一番初めに出てくる』とか『「カ」「タ」などは発音しようとする時、エネルギーを使うが「ア」は最もエネルギーを消費しないやさしい言葉』などその他諸説あるようですが、 Dr.ビーチは診療所の名前に対する考えとして
・歯科医療は次世代に診療室を受け継いだとしてもこれまでと同じように患者さまが何の不安も持たずに治療を持続する必要がある。
・世代が変わって違う名称になると患者さまが路頭に迷うこともある。そのために歯科医院の名称は抽象的な名詞でなければならない。
という事のようです。
日本では同じ理念を持つ診療所には「ア歯科」「愛歯科」などが多く使われているようです。ヒトの身体に係る医療においては直接身体に関係のない事でも安易に変化をさせないというのも大切な事だと思います。